今年度の4月に着任し、今を思えないくらい、多様で多忙な半年であったと思う。そういった意味では怒涛の前期を乗り越えて、今をようやく実感する隙間ができた8月、リレーコラムの依頼を頂戴した。ありがたいことで、これを機に過去と現在を結びつけて考える時間にしたいと思う。
ガラス造形研究室は自分が引き継いで3代目であって、今年度で21年目を迎える。前任のお2人の先生はガラス造形研究室の立ち上げのメンバーであり、初代の林亘先生は自分の学部時代の担任の先生でもある。会うたびに「お前は細いのだからしっかりと体力をつけるように」と言われ、「先生も人のこと言えないですよ」と少し生意気に返すのが当時20代であった自分の挨拶である。白髪で痩せ型の風貌は、どことなく自分の祖父に似ていて、むず痒い距離感であった。
元々、ガラスを学びたいという気持ちがあったが、残念ながら自分が学部時代には、まだガラス造形研究室は準備段階であり、鋳金を専攻した。さらに林先生は自分が卒業する前に退任されている。ただ、退任後も何かと気にかけて貰い、頻繁に手紙も頂いた。その手紙を読み返していたのだが、「モノ作りとして、心しておかなければならない言葉がありましたので送ります。 “Do you work as though you had a thousand years to live. And if you were to die tomorrow.”」とシェーカー教徒の言葉に添えて、「どんなに才能があっても、最後は体力です。身体に気をつけて、制作に集中してください。」と書かれたものがあった。
林先生から頂いた手紙のメッセージ
あれから20年余りが経ち、林先生はこの世を去られた。遺品整理にご自宅にお伺いした折り、当時、自分たちの担任をされていた際のアルバムを見つけた。そこには少しでも早く名前を覚えようと写真にクラスメイトの名前が記してあった。とてもシンプルなことではあるが、作家としての覚悟や教員としての心構えなど、大切なものや、暖かなものをずっと与えて下さっていたことに、今あらためて感謝の念が尽きない。
林先生が所持されていたアルバムのメモ
怒涛のような半年を過ごす中で、林先生からの手紙の一文や、言葉を思い返すたびに、不思議と心が落ち着き、自分が立つ場所を確かめることができる。受け継いだ研究室の歩みを未来へと繋げるために、頂いた言葉を胸に、これからも教育と制作に向き合っていきたい。
もう一人の恩師、藤原信幸先生は父親のような存在で、祖父的なむず痒さではすまされない。より直接的で大きな影響を与えてくださった先生である。そのことについてはまた別の機会に触れたいと思う。
写真(トップ):ガラス溶解炉のメンテナンスの授業
【プロフィール】
地村洋平
東京藝術大学 美術学部工芸科准教授
1984年千葉県生まれ。東京藝術大学で鋳金を学び(2008年学部卒、2010年修士課程修了)、その後富山ガラス造形研究所にてガラスを専攻(2012年造形科卒業)。2015年、東京藝術大学、ガラス造形研究室にて博士課程を修了。その後、東京藝術大学にて教育研究助手、非常勤講師、テクニカルインストラクターを歴任し、2025年4月よりガラス造形研究室の准教授を務める。金属鋳造やガラス造形といった伝統技法を基盤に、物質が変容するプロセスそのものを制作の中心に据えている。火に溶け出す金属の流れや、熱の伝達によってガラスやプラスチックが歪み固まる瞬間を造形の要素とし、生成と消失を行き来する運動を作品に取り込む。変化の中で現れる境界の揺らぎを通じて、自然と人工、破壊と創造の関係を探り、そこに潜む美しさと危うさを映し出している。近年では、JICAの技術協力としてパラオ共和国でのガラスリサイクル事業に携わるほか、ガラスの車輪を街中で転がし土地の記憶を刻むシリーズ《ゴロゴロの風景》を発表するなど、活動の場を多岐に広げている。